書評に関する雑感。
ここには愚痴が書き込んであったのだけれど、書評について自分の考えが書いてあったのでメモ代わりに残しておいてみる。
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書評は読んだ直後に、できるだけ構成とか無駄なこと考えずに感覚的に書き留めるのが一番自然でかつ高価値なので、書き直せないのですよね。
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あ、雑感ついでに言語についてでも書きますか。せっかくだし。
わかりづらい文章を書くのはバカのやること、難しいことを平易な言葉で書くのが大事という考え方があり、まあ一理あるんですが、手放しにはこれ、賛成できないのですよね。というのも、例えば論文とか、他者への伝達を目的とした言語活動を考えるなら、まあ言葉に客観的な意味も求められますしそれでお~け~なんですが、自己への噛みしめの言語活動(日記とか)、そして他者への伝達のうちでも、自己の内面の伝達こそをその目的とした言語活動、などでは難しい文章は切り捨てられないと感じちゃいます。
まあ私がある程度言霊信仰てきなものを持ってるというのもあるのですが、ことば(まあ単語とかの言い回しですね)一つの情報って一義性が低くて、主観性とか、関連情報(まあかっこよく言うならリンクですな)の影響がむしろよっぽど大きい
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書評は読んだ直後に、できるだけ構成とか無駄なこと考えずに感覚的に書き留めるのが一番自然でかつ高価値なので、書き直せないのですよね。
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あ、雑感ついでに言語についてでも書きますか。せっかくだし。
わかりづらい文章を書くのはバカのやること、難しいことを平易な言葉で書くのが大事という考え方があり、まあ一理あるんですが、手放しにはこれ、賛成できないのですよね。というのも、例えば論文とか、他者への伝達を目的とした言語活動を考えるなら、まあ言葉に客観的な意味も求められますしそれでお~け~なんですが、自己への噛みしめの言語活動(日記とか)、そして他者への伝達のうちでも、自己の内面の伝達こそをその目的とした言語活動、などでは難しい文章は切り捨てられないと感じちゃいます。
まあ私がある程度言霊信仰てきなものを持ってるというのもあるのですが、ことば(まあ単語とかの言い回しですね)一つの情報って一義性が低くて、主観性とか、関連情報(まあかっこよく言うならリンクですな)の影響がむしろよっぽど大きい
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